編集者 山若マサヤ

「こんな人生、モウタクサンダ」と言いながら死にたい 【前編】

Part.1of 2

クリエイティブの未来を担うのは、きっと、クリエイターの心を揺さぶるクリエイター――。
シリーズ「次代を創るプロフェッショナル」では、クリエイティブの世界でひときわ強い存在感を放つ、いま注目のつくり手たちをご紹介します。

今回ご登場いただくのは、「(必ずしも)旅に出ない」をコンセプトとした旅行雑誌『MOUTAKUSANDA!!! magazine』の編集長を務める山若マサヤさん。
本企画では、彼のヘンテコな方向へ突き進む姿勢や編集者としての魅力を、前後編に分けてご紹介します。

前編では、出版社時代の経験や独立を決意したきっかけ、『MOUTAKUSANDA!!! magazine』に込めた想いなどについてお話を伺いました。

山若マサヤの原点

『源氏物語』を読んだふりをしていた

――現在のクリエイティブな活動に影響を与えるような子ども時代のエピソードはありますか?
小さい頃の記憶があんまりないんです。ぼけーっとしてたんですよね。イラストレーターの方だったら絵を描くのが好きだったみたいな話になるんですかね? 僕も欲しいです、そういうエピソード(笑)。
強いていえば、小学校低学年の頃に児童用の『源氏物語』を読んでいたことですかね。それを見た周りの大人から「この子、こんな年齢から難しい本を読んですごいよ」と言われていました。でも正直、内容はよくはわかってなかったんです。その頃は『南総里見八犬伝』が好きだったんですよ。犬の魂を宿した8人の戦士が集結するとか、ジャンプっぽいというか、子ども心をくすぐるじゃないですか。「超おもしろいじゃん」と思って、じゃあ同じシリーズで出ていた『源氏物語』も読んでみようと手に取ったら、やたら男女がいちゃつく話で。なんか、違うぞと。

――漫画ではなく活字の本ですか?
そう、活字のやつ。白状すると内容はまったくといっていいほど理解できなかったんです。文字面を追いかけてただけで。読んでたらなんとなく頭よさそうに見えるじゃないですか。大人が褒めてくれるから読んでるふりをしていただけなんです。そういえば今思い出したんですけど、家には両親の本が大量にあったと思います。でも今の活動に影響したかと聞かれたら、どうなんでしょう。近所にブックオフができたときに丸ごと売ってましたし、大抵の本は読んでも意味わかりませんでしたから(笑)。

「自由に生きていい」ことを知った

――大学卒業後に編集者という仕事を選択されたわけですが、在籍していたのは工学部だったんですよね?
お恥ずかしい話ですけど、自分の得意科目で行けそうなところ、汎用性がありそうなところ、という感じで工学部を選んでしまったんです。主体性を持って生きてこなかったんですよね。プログラミングをやったりするような情報工学の学科だったんですけど、そんな感じで入学したもんだから、ぜんぜん楽しめなくて。
でも大学に行くと、「高校時代はクラスで浮いてたでしょ」っていう人がステージの上で輝いているみたいなことがあるじゃないですか。そういう人たちを見てたら、いい意味で自分の歯車が狂っていったんです。「自由にやっていいんだな」って。価値観がズレるような経験ができたのは、大学でよかったことのひとつだと思います。

――大学時代はバックパッカーも経験したそうですね。旅の目的はあったんですか?
いい加減、主体的に何か行動を起こさないとまずい気がしたんです。それで学校を1年休んで、海外に行きました。一番おもしろかったのはベルリンですね。アーティストがすごく多いと感じる街でした。最近も日本人含め若いアーティストが集まっている印象ですけど、10年くらい前から“アートが開かれている空気”があって。ビルやマンションにアーティストがガンガン絵を描いたりしてるんですよ。違法なグラフィティはもちろん、ビルのオーナー合意のうえで描かれたような作品も、街中にたくさんあって。あとは廃墟になった学校とか病院とか、そういうところにお金のない人たちが勝手に住みついてコミュニティをつくっていました。スクワッティングという不法滞在なんですけどね。建物のなかに勝手にクラブやギャラリーをつくって営業していたり。
日常にアートがあって、アーティストが普通にいて。アートが生活に開かれている部分がすごくおもしろかったんですよね。自分の視野が広がった気がしました。


出版社時代の山若マサヤ

余分な1ページこそが、おもしろかった

――大学卒業後、企業に就職する道を選んだのはなぜですか?
海外に行く前、沖縄の路上でパーカッションのパフォーマンスをして、日銭を稼いで暮らしていた時期があったんです。南国だと自由な暮らしをしてる人がけっこう集まってくるんですよね。そこでできた友だちと家賃15,000円くらいの部屋をシェアして住んでました。3人で割ったら1カ月5,000円です。路上パフォーマンスで、ひと晩で2,000~3,000円くらい貯まるので、意外とそれだけで生活できちゃうんです。
ベルリンも、どんな仕事をしてるかわからない人たちが多くて、話を聞いてみると、「夏のあいだはメッセンジャーをやってて、冬はバンドやってるよ」とか。好きなことを掛け持ちして働くとか、当時の僕には衝撃的でした。職業って1つじゃなくいいんだって。
僕の地元は石川県なんですけど、そんな自由な働き方をしてる人は周りにいませんでした。だから沖縄やベルリンで自由な暮らしに触れて、「大学出て就職する必要あるのかな?」「のんびりだらりと暮らそうかな」とも思いました。
でも、せっかくだから一度くらいは企業に勤めてみようという気になったんです。経済のシステムのなかに立って、そこから何が見えるのかを知りたかったんですよね。この機会を逃したら、もう一生チャンスはないと思ったので就職することにしました。

――出版社の編集者という仕事を選んだのは、何か理由があったんですか?
いろいろな企業の就職説明会に行ったんですが、おもしろいと思えるものが見つからなくて。興味がないものを弾いていったら、本や雑誌をつくる仕事だけが残ったんです。ようは消去法なんですけど、面接で志望理由を聞かれたときに「消去法です」とは言えないじゃないですか。だから志望理由を考えたんです。それで思い出しました。
17歳か18歳の頃、何気なく手に取った普通のストリートファッションの雑誌に、1ページだけビートニクの記事があったんです。その記事がすごくおもしろくて、大学に入ってからビートニクの本を読み漁ったりしていました。旅に興味を持つようになったきっかけもビートニクです。そう考えると、あのとき読んだ雑誌の1ページが、未知のカルチャーへ続く道を教えてくれたのかなって思いました。
その1ページは編集者の趣味を詰め込んだページかもしれないし、気合いでデスクからもぎ取った入魂の1ページかもしれません。ファッションという本筋から外れた、余分で実用性のない企画だったかもしれません。でも、そういうページを内包しているパッケージこそが雑誌なのかなと思いました。“雑”っていう字を書くのはそういうことかなとも思ったりするんですけど、例えば1冊丸々春のファッションについて書かれているより、多少逸脱したページがあったほうが1冊としてはおもしろくて。春のファッション特集号だとして、春らしいお菓子のページとか、春にまつわる本の紹介だったり、雑誌にはそういったページがあることが多いですよね。そのほうが読んでいて発見があるし、興味の幅を広げてくれるじゃないですか。そういうヘンテコなページをつくるのが楽しそうだなと思ったんです。

出版社時代は、本当にキツかった

――出版社では編集者としてどんな仕事をしていたんですか?
新卒で主婦の友社に入社しました。雑誌の編集に携われなかったら辞めようと思っていたんですけど、ありがたいことに女性誌編集部に配属してもらえたんです。『mina』っていう雑誌の編集部に3年ほどお世話になりました。なんかもう、すごく大変でしたよ。「けっこうハードな仕事だろうな」と覚悟はしていたんですけど、想像以上で。僕がぜんぜん使えなかったから丁稚奉公みたいな感じだったっていうことですよ。「こんなにキツいのか」と思ったんですけど、それが楽しくもありました。追われるようにひたすら考えながら1冊の雑誌をつくるっていうのは、貴重な経験でした。極限まで集中している感じというか。自らボロ雑巾のように働いていた気がします(笑)。
『mina』はファッション誌なのでファッションページが花形です。最初は先輩に教わりながらストリートスナップの企画なんかを担当させてもらっていました。でも、いつの間にか“読み物”と呼ばれる企画の担当になっていて。女性誌ってファッション以外のページもあるじゃないですか。エッチな企画とか、占い特集とか、インテリアとか。あれが読み物です。「1,000人に聞いたHな体験談」とか「男の子を喜ばせるテクニック」とかそういう企画をよく担当しました。

――山若さんはエロ担当だったんですか?
エロもそうだし、便秘とかダイエットもやりましたよ。「20代のうちにやっておくべきこと」とか「幸せって何ですか?」みたいな企画でインタビューしたり。気がつけばそういうページばかりやる人になっていました。でも、ファッションだけに携わっているより、いろいろな人に会えるし話を聞ける。アーティストにインタビューしたり、作家の方にコラムを書いてもらったりもできたので、そっちのほうがおもしろいなと思うようになりました。でも、体力的にはほんとにキツかったです(笑)。

――締め切り前だけではなくて、常に忙しかったんですか?
ずっと忙しかったですね。もっと効率的なやり方もあったと思うんですけど、そのときは「できることはなるべくぜんぶやる」という意識で仕事をしていました。社会人になりたての頃って力の抜き方がわからないじゃないですか。だから、ひたすら作業量を増やして詰め込んで。朝方近くの漫画喫茶でシャワーを浴びてまた出社する、という日もありました。先輩はちょっといいお風呂屋さんに行くんですけど、会うと気まずいから僕はあえて漫画喫茶に行ってました(笑)。

出版社で学んだのは、編集者としてのすべて

――主婦の友社では編集者としてどんなスキルが身につきましたか?
ほとんどすべてのことを教わりました。僕の場合は専門学校に通っていたわけでもないし新卒入社だったので、編集という仕事だけではなく、社会人としての振る舞い方から仕事の仕方すべて教えてもらいました。
その編集部では基本的に「原稿も編集者が書く」というやり方だったので、すごく勉強になりました。企画を考えて、リサーチして、アポを取って、撮影場所をセッティングして、スタッフと打ち合わせをして、インタビューや取材をして、撮影のディレクションをして、レイアウトを切って、原稿を書いて、校正して――っていうプロセスをすべて1人の編集者がやるんです。担当企画が多いときは部分的にライターさんに原稿をお願いしてもいいことになっていましたが、「コンテとレイアウトは自分で書きなさい」っていうやり方でした。すべて1人でできるようにならなきゃいけない環境だったんです。
当時はそれがスタンダードだと思っていたんですが、主婦の友社は出版業界内でも、特にきちんとしている会社だったと、あとから知って。厳しいけれど、「優秀な人材を輩出している」といわれる出版社らしくて。すごくいい環境で働かせてもらっていたと思います。

――1人で何でもこなせるようになったから、独立もしやすかった?
そうかもしれません。企画の考え方、レイアウトやデザインの役割、本全体やページ単位のダイナミズムなど、雑誌や本についてたくさんのことを学びました。
自分でゼロから雑誌をつくり始めてからは、そういう商業誌で学んだ雑誌のつくり方をもう一度解体して「もっと自由につくれないか?」と考えるようになったんです。それは、商業誌的な方法を学べたからこそだと思います。“型”を学んだからこそ、その“型”に収まらない方法へ意識が向くようになったというか。今の思考のベースとなる部分の多くを、主婦の友社で学ばせてもらった気がしますね。


山若マサヤが独立した理由

編集者とクリエイターは違うと気づかされた

――現在はフリーの編集者として活躍している山若さんですが、もともと独立したいという思いはあったんですか?
26歳か27歳のときにフリーになったんですけど、いつか独立したいとは思っていました。話が飛ぶんですが、シド・ヴィシャスって21歳で死んだんです。それを知ったときに、なんか焦っちゃって。「あれだけの逸話があるのに、俺の年にはもう死んでたのか」って。そういうこといろいろ考えちゃうんですよ。
18歳のときは20代の人がかっこよく見えて、20歳の頃なら30歳くらいの人がかっこよく見えた。そういうことを考えると「やべっ、おっさんになってしまう」って。出版社の社員として1つの雑誌を編集するだけじゃなくて、もっと広い視点で表現や制作をやりたい。そんなフラストレーションが溜まっていたんだと思います。

――独立を決意したきっかけはありますか?
印象に残っている出来事があります。編集部でファッションの企画を担当したとき、あるフォトグラファーの方と話す機会があったんです。ふとしたときにその方に「山若くんも編集者じゃなくて、つくる側でやったほうがいいんじゃない?」って言われて、そのとき「あ、そっか」って気がついたんですね。彼らと違って自分は会社員なんだ、と。たしかに編集者って、今回が悪くても次の企画は回ってくるし、給料もそこそこもらえるし、ダメなページをつくっても名前がクレジットされない。でも、スタイリストやフォトグラファーは「この作品は私の仕事です」と何万人、何十万人に発信するわけで、次の仕事がある保証もないですよね。
その違いに気がついたとき、見えない線の向こう側にスタイリストやフォトグラファーが――クリエイターがいる感じがしました。それまでは彼らと同じ目線でものをつくっているつもりだったので、けっこうショックでした。そこで、自分ももっと主体的に編集に向き合って、彼らと同じ目線でつくりたいと思ったんです。

“辞めたハイ”が自分をブーストさせた

――独立してよかったことを教えてください。
実は独立するまでけっこう悩んだんです。それは先輩に「この名刺1枚あれば、いろんな人に会える」とよく言われていたからなんです。例えば企業の重役でも、有名なアーティストでも、出版社の人間なら会う機会をつくりやすいじゃないですか。「これは特別なものなんだよ」と言われて「たしかにそうだよな」と。自分が会社を辞めてそういうチャンスを手放すのはどうなのかなと思ってたんです。でも、独立してみたらもっとたくさんの人に会えたので、結果的によかったなと思います。

――どんな方法で会ったんですか?
ひたすら出かけるんです。会社を辞めたあとは“辞めたハイ”になっていたので、どこにでも出かけていました。知らない人の展示会にぱっと行ってがんがん話しかけたり、誘われたら断らずに飲んだり遊んだりしてました。そうするうちに、出版社に勤めていたときよりもずっと多くの人に知り合えて、一緒に仕事をすることにつながったりしたんです。「出版社の名刺はなくなったよ」「もう編集部の人間じゃないよ」と自分を追い込んで行動力をブーストさせるパワーはあったと思いますね。あと、フリーになると昼間ぶらぶらできるところがいいですね(笑)。

――反対に、独立してから大変だったことはありますか?
ないですね。やりたいことがある人には、胸を張って「独立しなよ」とおすすめしたいです。

 

山若マサヤが感じた「モウタクサンダ」

「こんな楽しい人生、モウタクサンダ」と言って死にたい

――山若さんが編集長を務める雑誌『MOUTAKUSANDA!!! magazine』、命名の理由を教えてください。
さっきの独立のきっかけの話と被っちゃうんですけど、スタイリストやフォトグラファーが自腹を切って作品撮りをしてブックをつくったりするようなことを、自分も気概を持ってやりたいなと思っていて。フリーになっていろいろな人と会うと「なんかおもしろいことやりましょうよ」って、常套句のようにそういう話になるんですけど、その「なんかおもしろいこと」がうまく実現したためしがなくて。クライアントさんの言うおもしろいことがガチガチの仕事だったりして「ぜんぜんおもしろくねー!」ということもあったり。フリーの編集者として普通に仕事してるだけで、進展のない時期があったんです。
そのときすごく現状に不満を感じていて、「つまんねーな」「おもしろくねーな」と、現状を打破できない言い訳をしている自分すら嫌だなと思ったとき、「モウタクサンダ」っていう言葉が浮かんだんです。

――それが雑誌の名前になったんですね。
最初はフラストレーションのはけ口として思いつきでTシャツをつくろうと思って、いろいろなデザインを考えてるうちに出てきた言葉でした。トートバッグもありますよ。
「モウタクサンダ」にはさっき言ったような不平不満、「言い訳して生きるのはモウタクサンダ」という意味と、「過剰であることは素晴らしい」という意味があるんです。Tシャツのデザインを考えながら生まれて、それがWebメディアの名前になって、最終的に雑誌の名前になったという流れですね。

――Webサイトに「ある日、じじいは死にました。『こんな楽しい人生、モウタクサンダ』って言いながら。」というコピーが掲載されていますが、山若さんもそういう最期を迎えたいと思いますか?
これ、友だちのコピーライターが考えてくれたんですけど、気に入ってます。自分にまったく納得がいってなかったフラストレーションと、つまらないと言い訳していた局面を超えて何かをつくろうとしている、青臭い気分が表れているような。「最高に楽しいことをやろう」「一生楽しく生きたいよね」という希望を見ている。こうやって死ねたらいいなと思いますね。

 

山若マサヤが雑誌に込める想い

“自分発信の雑誌”をつくりたかった

――雑誌のターゲットは想定しているんですか?
商業的なつくり方とスタート地点を変えたいと思っていたから、ターゲットはあえて設定していないんです。ちゃんとした広告もないし、「何歳の男性で何が好きで」っていうペルソナも考えない。ターゲットの目線を意識すると、ユーザーからスタートして考えることになるじゃないですか。雑誌を読んだ人にモノやサービスを買ってもらう、ということを目的に据えた場合は、効果的な方法のひとつだと思います。でも、『MOUTAKUSANDA!!! magazine』ではそのプロセスを逆転させたかったんです。読者の視点ではなく、雑誌のコンセプトを優先してつくり始めたいというか。「想定読者は自分」っていうエゴイズムかもしれないです。でも、自分が本当におもしろいと思えるものをつくったら、自分と同じような感性を持つ人がおもしろがってくれるかもしれないって。そういう雑誌があってもいいと思ったんです。

――雑誌のコンセプトについて教えてください。
コンセプトは「(必ずしも)旅に出ない」旅行雑誌です。自分から始めるにしても何か指標が欲しいなとは思っていたので、いろいろ考えました。僕はフォーマットのようなものを反転させるというか、扱う対象を裏側から見たり別のものに見立てたりするのが好きなんです。例えば、“食べないフード雑誌”とか、“気持ちよくない健康雑誌”とか、そういった違和感のある設定をどう扱うか、というプロセスに惹かれます。「結びつきそうにないものを結びつける」のは編集手法の1つだと思っています。
これはクライアントワークで企画を考えるときにも使うんですよ。例えばネイルを扱う美容の企画にデジタルガジェットの紹介を取り入れる、みたいな。イメージ的なネイルの企画と機能的なガジェットの企画は一見結びつきそうにないですが、指先の仕業という部分では重なりますよね。そういう少しの違和感を含んだページを作れるといいなと思って企画を考えていますね。
言葉を考えるときもそう。結びつきそうにない言葉同士が結びついていると、ハッとしますね。例えば、“太陽が臭い”とか。どこかしっくりこない感じが、物事を捉える視点が変わるきっかけになる気がします。

――たしかに、すごく「やられたな」っていう感じはありますよね。
そうそう、今まで出会ったことのない言葉同士が出会っている感じ。シュルレアリスムの「解剖台の上でのミシンとコウモリ傘の偶然の出会いのように美しい」みたいな、出会わなさそうなものが出会うっていうのが好きなんですよ。そういう既存の見知った形を少し違ったものにトランスフォームして見せられないかと考えて、自分が影響を受けたものを振り返ると「旅がいいな」と思って、それから「旅に出ずとも旅のように」というアイディアが生まれました。それがしっくり来たんですよね。日常の感覚が旅っぽくズレるような雑誌。それをつくるのは楽しそうだし、それをいいと思ってくれる人はきっと友だちになりたいと思えるような人だろうし、そういう人が周りに増えたら人生も楽しくなりそうだなと思ったんです。いい理由しか思いつかなかったので、このコンセプトにしました。

――山若さんが旅にこだわる理由は何ですか?
「ずっと旅をしていたいな」と思うんですよね。旅の魅力って実は移動することに特有のものではなくて、自分の生い立ちや今まで感じてきた文化と、そうでないものとの差異が浮き彫りになる体験だと思うんです。不思議な地面の模様にハッとしたり、その場所特有の時間の流れ方がおもしろく感じたり。別の場所へ出かけることで、そういった差異を発見しやすくなるんだと思うんです。
感じる差異の大きさが旅のおもしろさだとすると、やっぱり旅しながら生きていたいなと思うんですよ。東京に住んでいても、日常にあるものをおもしろがりながら生きたいなって。今の東京の暮らしも旅の途中だと考えれば、実は旅って、すごく普遍的なことなのかなと思ってるんです。

 

山若マサヤの紙媒体へのこだわり

雑誌は視点を切り替えるための“デバイス”のようなもの

――本が売れない時代に紙にこだわる理由は何ですか?
利益を優先すれば紙より効率的なやり方はあると思いますが、『MOUTAKUSANDA!!! magazine』は売上をあげることに視点を置いていないんです。一般的に広く興味を持たれるような雑誌ではないだろうし、一定数あればいいと思っています。もちろんぜんぜん売れないと困っちゃいますけど、どんどん部数を増やせるようなものでもない。
あとは、紙は1個の“もの”として帰着している感じがいいなと思っているのも理由ですね。僕は雑誌を“デバイス”のようなものだと考えているんです。1ページ目というスタートから最終ページというゴールに向けて、「ここから始めてここまで進んでください」という定義ができるんですね。1冊を通して読むことで意識が変化するという体験を提案しやすいというか。さっき「出会いにくいもの同士が出会うことで視点が変わる」という話をしましたけど、そういう機能を果たす装置としてメディアをつくりたいときは、紙が適していると思います。

――Webのコンテンツではダメなんですか?
見やすかったりたどり着きやすかったりして、たしかに便利ですよね。スマホでもパソコンでも見られるという、1個のものに帰着していないというのはとても使い勝手がいいです。でも、そこには代替可能な“おぼつかなさ”みたいなものがあるように感じるんですよ。それよりも、“やぼったさ”のある紙のほうが、装置としての強さが出るんじゃないかと思っています。マウスに手を置いてWebの記事を見るときは、それがめちゃくちゃおもしろかったとしても、箱の中のデータを一時的に眺めているような感覚で、所有している感じはありません。雑誌を読むときはまず重みのあるそれを手に取って、好きな場所に座って、自分の手でページをめくる。スイッチを入れる感じというか、幕が上がる感じがするんですよね。そのほうが読んでいて没入できると思うんです。
これからも便利でスピーディーなツールがどんどん普及していくだろうし、紙媒体はオールドメディアになりつつあると思うんですけど、だからこそ、遊びがいがあるんですよね。

――ありがとうございました。

後編につづく。

    UPDATE:
    次代を創るプロフェッショナル
    編集者
    山若マサヤ

    山若 マサヤ Masaya Yamawaka

    山若マサヤ(やまわか・まさや)
    1985年生まれ。石川県小松市出身。
    神戸大学工学部卒業後、主婦の友社に入社。女性誌、書籍編集部で経験を積み2012年独立。現在はフリーランスの編集者・ライターとして書籍、ムック本、雑誌等出版物の構成、編集、執筆を行いながら、『MOUTAKUSANDA!!! Magazine』の編集長を務める。